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egypt エジプト旅行 4 [ルクソール東岸編]

 

ルクソール神殿(ルクソール東岸)

第18王朝のアメンホテップ三世が太陽神アモンとその妻ムト、そして息子コンス(月の神)に捧げて建立したもの。
最初は幅50m、奥行き190mだったが、後のラムセス二世が塔門と広間を加え、現在では奥行き260mにものぼる壮大な神殿となった。
塔門の前にはラムセス二世の巨像とオベリスクが対で建っていたが、オベリスクの一本は、1831年モハメッド・アリがフランスに贈りました。現在はコンコルド広場に建っています。
ラムセス二世の広間の壁には、沢山のレリーフや象形文字が刻まれています。
自己顕示欲の強い彼は真相は別として数々の戦いの場面や勝利を記念するレリーフをあちこちに残した。

下写真中央の右側はクレオパトラの像。


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カルナック神殿 (ルクソール東岸)

ルクソールの北3kmに位置する。第12〜20王朝のファラオ達がアメン神に捧げた主神殿です。なかでも第18王朝から20王朝のファラオ達によって様々な神殿やオベリスク、神像などが寄進され、エジプト最大の遺跡となるに至った。

神殿のライトアップは一年中開催してます。→
ルクソールの町ではカルナック神殿だけでやっているショーですが、曜日によっては日本語でアナウンスされる日もあるらしいです。
(僕達の時はドイツ語だったけどさ。涙)


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ルクソールの町

古代時代にはテーベと呼ばれ、王国の発展とともに第12王朝より首都として栄えた町。
当時のテーベはナイル両岸にまたぐほど大きな町だったが、現在は東岸のごくわずか一部のみとなってしまいました。
南北に延びるナイル川の上流が上エジプト、下流が下エジプトと呼ばれ、テーベは上下エジプトの中間にあたっていた為、統一には絶好の場所だったのです。
全盛期は第18王朝〜第20王朝で、この時期のファラオ達は数々の戦で多くの戦利品をもたらしたり、神殿建立で町は活気と賑わいであふれていまたのです。また、この時代はテーベの守護神アメン神への信仰が非常に強かったということもあります。
古代王朝ではファラオ=神とされていましたが、テーベではファラオは神に守られるものとして認識されていたのです。だから、戦勝のたびにアメン神に多大な寄進を行い、それに付随して神官の立場が上がって行ったのです。

香辛料屋さん 市場の様子 水パイプなんか吸っちゃったりして
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番外編

手前のボートがファルーカと呼ばれる、エジプトの名物。
ファルーカは、巨大な帆を備えていて、僅かな風でも動くことが出来る帆かけ船なんだ。
19世紀までは人や物資を運ぶエジプトにとって重要な運搬手段だったんだ。ナイル川の景色にはなくてはならない、言うなればイタリア、ヴェニスにとってのゴンドラみたいな存在だね。

右側に停泊している船の手前から3艘目が「クラウンジュエル」と言う名の僕達がアスワンからルクソールへ来るのに乗ってきた船だよっ!

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