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日本 京都 「光明寺」

ここ、光明寺は元は「水月庵」と言い、後に改名されましたが、千二百有余年の歴史を持ち、寺宝の一つには「古文書」まである古いお寺です。仏像・石塔・石仏・石神等が多く奉られていて、石造物のみ見学しても、その数30余種、約100体も拝む事が出来ます。
山門脇には二百体を超える文字庚申塔が安置されていますが、これは厄除け・除災祈願の『千庚申』と呼ばれるもので、十千十二支の組み合わせから出来る「かのえさる」の日に行われた祭の日に建てられた供養塔の事です。昔、中国の道教に「悪事をした人は庚申の晩、本人が寝静まった時に口から抜け出した三尸(人の体内に住んでいると言う三匹の虫)によって天帝にその悪事を報告され、悪事を報告された人は若くして死ななければならない。」と言う教えがあり、人々は庚申の夜は眠らずに一晩中宴を開き、一番鶏の声を聞いて解散したらしいです。それは、「三尸は虫だから鶏に食べられる為、鶏が鳴けばもう抜け出せまい」というわけです。現在では『庚申祭』と呼ばれ、農家の祭として伝承されています。
また、観音堂に詣でますと、底の抜けた沢山の「ひしゃく」が供えられているのを目にしますが、これは、「底が抜け水がたまる事なく通り抜けるくらいに、お産が軽くすみますように」と、安産祈願の女性が、ひしゃくの底を抜いて奉納したものだそうです。
平成四年1月には「桐生七福神」が成立し、光明寺は一番札所、福の神「弁財天」をお祀りしております。
是非紅葉をご覧に足を運んで下さい。京都の紅葉は11月中旬頃〜が見頃だそうですよ。

 

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アメリカ   ロスアンゼルス

皆様にも映画等で馴染みの深いロサンゼルスの名前の由来は昔、まだ公用語がポルトガル語だった頃、「たくさんの天使達」という意味でつけられたそうです。知ってみると、可愛らしい名前ですよね。(実際のイメージはやはり「怖い」方が先立つ気もしますけど?!)

写真はロスアンゼルスの中心地に位置するセンチュリーシティにある「ボナベンチャー・ホテル」。センチュリーシティはいわゆる、日本でいうところの丸の内。平日は会社員達でひしめいていますが、土日は閑散としたものです。「ダイ・ハード1」の舞台になった“ナカトミビル”(現実は映画会社のビルで、撮影後は会社として機能しています)もこのセンチュリーシティにあります。
この写真では、分かりづらいと思いますが、センチュリーシティは、ドーナッツ状に形成されていて、外周は高層ビル、内側に巨大なショッピングモールがあるんです。(道路側からは見えないし、ガイドブックにも載っていないので、結構穴場!)デパートや数百店舗はあるだろうショップ、food areaには何十軒とあるレストランやカフェ、BAR...はっきり言って、揃わないものはないだろう状態。
ロスアンゼルスで一押しスポットです。
(最近は、横浜のクイーンズスクエアやら、同じく横浜MM21のワールドポーターズ、町田のグランベリーモールと、アメリカ的ショッピングモールが日本にも増えて来ましたよね)

 

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フランクフルト クリスマス市

皆様は「クリスマス市」って知っていますか?主にドイツ語圏固有の文化らしいですが、クリスマスの4週間前から当日までの期間を「アドヴェント」と言い、クリスマスに備える特別の期間を表します。この「アドヴェント」の始まりと共に町の中心となる広場に出現するのが、「クリスマス市」です。大抵は木で作った小さな仮説屋台が並び、古典的なところではクリスマスの飾りや、クリスマスのお菓子などが売られています。もちろん、ドイツと言えば焼きソーセージとビールは無視できない代物ですので、これらの屋台も必要不可欠とされています。(写真の)フランクフルトでは、ほとんどこれら飲食屋台の方が幅をきかせています。

そこで、ひとつお酒好きの方にご紹介致しますのは、この時期、「クリスマス市」特有の魔化不思議な飲み物“グリューワイン”。ワイン(大抵は赤)に、砂糖の他、何種類かの薬草エキスを加えて暖めたもので、コップ1杯3マルクそこそこ。最初はかなり抵抗を覚える味らしいですが、いつしか癖になるクリスマスの味だそうです。私はお酒を好まないので飲んだ事はありませんが、そのカップには興味をそそられます。
環境問題に熱心なドイツでは、7〜8年前から使い捨てカップで売られていた、この“グリューワイン”を安いマグカップで提供し、売る時にこのカップの保証代金(3〜5マルク)を余分に取り、飲みおわってカップを返却するとその保証代金が返って来るというシステムを取っているそうです。(このシステム、お祭りの屋台等ではお皿やビール、ワイン等のグラスにもしばしば適用されているので、訪れる機会があったら「物価が高いわね〜」と嘆く前に何でも放って置かずに返却してみましょう!)
しかしこの“グリューワイン”用カップは、ちょっとした町ではそこの町のシンボルとなるような物の絵が書いてあって、また町の名前が入っているので、観光旅行の手軽な記念品としてもお勧めです。現地人には「変な人〜」と見られるかも知れませんが?!(笑)

 

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カナダ エメラルド湖

この湖は、本当の名をLAKE PATE(ペイト湖)と言い、YOHO国立公園の中にあります。コロンビア大氷河までの道筋には、やたらと大きな氷河や滝が目に付きますが、ここを過ぎると美しい湖が目に付くようになります。氷河が溶けてできたと思われるこの湖は、まるで着色したかのような「青色」で、まるで大量のバスクリンを入れた感じ。(夢がないなぁと思う方も多いと思いますが、それほどの青色なのです!)

カナディアンロッキーで3つの指に入るほど美しいと言われているこの湖は、1年を通じてその湖水が様々な色に変化する、という実に神秘的な湖なのです。特に9月は、湖が一番美しい色に輝く時期で、”エメラルドの湖”と呼ばれる由縁です。また、湖が星の形をしているのも特徴です。

湖畔にはホテル等の宿泊施設があり、あまりメジャーなツアーコースではないせいか、日本人は少ないと思いますので、バカンスには最適かも?!

季節にはマスなどの日本人のお口に合うあっさりした魚料理が召し上がれます。

 

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香港  香港島

 1998年7月、イギリスと清朝の間で交わされた99年間の租借契約期間が切れ、国としての存在が無くなり、それまでの資本主義から社会主義に変わってしまった小さな大都市“香港”。
返還直前は日本から香港への旅行代金が日々うなぎ登りに上昇しました。希少価値に弱い日本人の特性だったのでしょうか?それとも、[不景気]と[近場]、[リミット]と言うキーワードが揃った結果だったのか?(笑)
写真(見えないかな?奥の方、ビルの手前) は香港に行ったら是非とも訪れてみたい水上レストラン(要予約)。
香港の観光は「食事」「買い物」(6〜9月がバーゲン)「観光」の目的別に廻るのが得策。ちなみに「アジアの建築技術の最高峰として雲を裂く」と言われるアドミラリティ地区は建築関係に携わる方なら必見の価値有りです。

 香港(中国)には色々な迷信や縁起があって、国のシンボルである竜は、疫病、災いから守ってくれる守護神として祭られていますし(西洋では反対に、竜は恐ろしい、不幸を呼ぶ生物と信じられていますが...)、虎は富を、鶏は幸福を、豚は潤沢、猫は長寿をもたらす生物とされ、様々な物にモチーフとして使われています。その他、色にも意味があって、紅は縁起をかつぐ、黄色は景気上昇、緑は福禄寿の「ロク」という音につながるおめでたい色、って事で看板等に原色のまま使用し派手さを増しているのです。また、桃は長寿のシンボルであったりなどなど...

 なお、現地で注意したいのは蚊!冷房から出る水滴が道路に水溜まりをつくり蚊が発生するのだそうです。あと、上層階がアパートとかになっている建物が多いので、看板等の上に洗濯物や植木鉢があって、突然水が降ってくることもあるので注意。(決して怒らない様に!)
また、日本人のカメラ好きは有名ですが、香港人は写真を撮られることを嫌うということにも気をつけた方が良いですね。

 

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ドイツ  カッツ城

ドイツでは、12世紀から14世紀にかけて約1万以上ものお城が築城されたといわれています。
その内のいくつかが、ドイツの父なる川<ライン川>に沿って一部を廃虚としたまま残っています。写真のBung Katzもその内の一つで、ローレライの岩のある町、ザンクト ゴアハウゼンの丘の上にカッツェンアイボーゲン伯爵によって1372年に建てられました。
伯爵の名前を略して「カッツ城」と呼ばれましたが、日本語に訳すと「ネコ城」。
現在のお城は、1898年に古い図面に従って再建されたものですので、写真の通りきれいな状態で観る事ができます。
現在では、国立厚生機関の保養施設として使われています。
(ネコが居ればネズミも居るわけで、町を隔てて丘の下の方にはネズミ城もあるのです。笑)

 

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ドイツ ラインフェルス城

上で紹介したカッツ城の(ライン)川をはさんで反対側、ザンクト・ゴア・ハウゼンのそばにそびえ立つこのお城は、1245年、カッツェンエルンボーゲンのディートリッヒ伯爵により<父なる川>と呼ばれるライン川運行関税徴収の為に建造(神聖ローマ帝国時代、フランスがドイツ侵略の糸口としてこの辺りの領土を狙っていた為、貴族は帝国領土の割譲を恐れ、競って城を建てて守った)。1500年以後は幾多の戦争でも最も難攻不落と言われ、ドイツ最強の要塞の一つに数えられたが、1796年から97年にかけて不戦降伏の後破壊された。しかし、その後改修され、今日では市の所有物となり、古城ホテルとして宿泊が可能になっている。設備こそ良くはないが、この城の区間は右岸、左岸ともに13世紀頃建てた城が最も多く点在する場所なので素晴らしい景色を楽しめるし、散策するのにもGood!他にも現在ライン川流域には多数お城が残っているが、殆ど破壊されて外観を残すのみとなっている。その中でも保存状態が良好な城がホテルやレストランとなっているのでツアー選びの際には是非ともポイントとしてcheck!してもらいたい。

ラインの流れはスイスアルプスのトーマ湖に源を発し、オランダのロッテルダムで北海に注ぐまでの1300kmの巨大な大河である。その内700kmがドイツ国内を流れているのである。ローレライもいいけど、川沿いにいっぱいあるお店屋さんへ是非とも足を運んでください。お薦めはドイツの時計。細工が凝ってて性能も良好なので、一生モノを自分へプレゼントするにはイチオシです。

 

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フィンランド ロバニエミ

フィンランドの中に、ラップランドと呼ばれている広大な地方があります。そこは、スカンジナビア半島の北部にあたり、森林とツンドラが一面に続く荒涼とした大地で、ここに住むラップ人は、冬はトナカイを飼育し、夏はトナカイの餌である苔を求めて暮らしています。そんなラップランドにサンタクロースの故郷であるロバニエミの町はあります。

北極圏に一番近くて、大きな町であるロバニエミには、サンタクロース・ビレッジと呼ばれるサンタさんの村があります。そこにはサンタクロース郵便局があり、この時期になると世界中からサンタさん宛てに沢山のクリスマスカードが届きます。
他にも写真のサンタクロース事務所や、事務所の向かい側にあるサンタクロースのおうち、X’masグッズのお店...と村中がX’mas一色!
郵便局に集められたX‘masカードには、村の事務所で返事を書いてもらえます。また、サンタクロースのおうちを訪れると政府で公認されたサンタクロースさんと一緒に写真が撮れる!こんな盛りだくさんのフィンランド、訪れるならぜっーたいっ!!冬がお勧め!(但し、極寒なので防寒準備をしっかりとして行って下さいね。もれなくスーツケースはいっぱいになるでしょうけど。笑)

しかし、夏には夏の楽しみ方が。24時間陽が沈まないと言う白夜が体験できます。

まぁ、他にもクリスマスにお勧めの場所は多々ありますので(ニューヨークやら、パリのシャンゼリゼ通り、ニュールンベルグのクリスマスマーケット等など)長年かけて各国のクリスマスを見比べてみてはいかがでしょう?(いくらかかるかは考えない事にして...)

 

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オーストリア ヘイデルワンゲル湖

チロルは森や牧草地が広がる谷あいにある街で、大きな三角破風の屋根、がっしりした木造のベランダの家が並んでいるのが特徴的。チロル州の州都はインスブルックという、ローマ時代からの歴史をもつ古都で、意味は“イン川に架かる橋”。街を流れるイン川の両岸に橋を架けて繋ぎ、都にしたところに由来するらしい。

この街はハプスブルグ家ゆかりの地のため、街を歩けばマリア・テレジアン・イエローが目につく。(余談だが、女帝はこの時代にしては珍しく、幼馴染のフランツィと恋愛結婚をし、幸福な家庭を築いた反面、ドイツ国王フリードリッヒと領地争いをして互角に渡り合った程の気丈な16人の子の母。治世中の殆どを産褥の床で行なったというのだからすごい気迫!根性!尊敬の極みですね)

マリア・テレジアといえば、オンナの子ならやはりザッハトルテが一番に思い浮かびますね。
昔、宮廷御用達の菓子職人が女帝のために考え出したお菓子です。オーストリアの首都ウィーンに行ったらアイス・カフェとザッハでティータイムなどいかがでしょうか?(ザッハは日持ちするのでお土産も可ですが、日本のチョコと違ってめちゃめちゃ苦いので注意!)ちなみに、チロルの代表的な郷土料理で「クネーデル」というベーコンとパンを団子状にしてゆでたものもおすすめ。

 

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イタリア ヴェネツィア

「水の都」「運河の街」「アドリア海の花嫁」と呼ばれるヴェネツィアをご紹介致します。

5世紀、かのローマ大帝国崩壊寸前に、イタリア半島の住民が異民族の侵入を避けて移民してきたのがベネツィアの始まり。
“水の都”として本格的な都市構成が完成したのは13世紀中頃。この頃が全盛期で、“翼を持つライオン”をシンボル(現在でも建物などについている)としたヴェネツィア共和国は、周辺の都市を支配下とし、各都市が生み出す様々な物資の交易によって富を得、地中海の「女王陛下」とまで称えられていました。(マルコポーロもこの地から旅立ったのです)
その後オスマントルコによって滅ぼされ、ナポレオンに押さえられたり、一時はコレラや飢餓にまで悩まされるという、衰退ぶり。この辺りが「光と陰の街」たる由縁だそうです。

現在、1500年前に人間が海底に杭を打ち込み、埋め立てて、橋で繋いだこの街は、本土に大々的な工場誘致を行なった為、工場群が大量に地下水を汲み上げ、結果ラグーナの海底がヴェネツィアを支えきれなくなってしまいました。また、地上では工場が排出する大気汚染がひどく、大量の汚染物質と古い建物が肩を寄せ合ってバランスをとっています。もし一つでも崩れたら...連鎖反応は起こりうるのです。怖いけれども、やはり運河の街としての美しさ、失う前に是非とも皆様にご覧になってもらいたいと願う旅猫でございます…

日本のように、車社会に育ってしまった人間には、車のない、全て歩きで街を散策できるベネツィアはカルチャーショックを受けると共に、ヴァカンスとしてはとてもくつろげる街です。
ちなみに、食は言う事なし!!のお味です。朝市でトマトなぞ買って、ホテルでかじるのも良いですよっ!

 

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